CHA文化とは

CHA文化とは(角山榮 元博物館長)

 元来、広東語のチャCH‘Aに由来するお茶という言葉は、茶の木、茶の葉、茶のつくり方などともに、鎌倉時代の初めに、日本に渡来したと言われるが、お茶は、単なる飲料、ドリンクとして受容されたのではなく、日本人はこれをやがて茶の湯という日本独自の茶の文化として仕立て上げたことに注目したい。

 茶はその後時代の流れとともに、一部の上流階級の間だけでなく、広く一般庶民の間に広がる過程で、茶および茶の文化も多種、多様化して今日に至っている。しかし、その中でお茶が飲み物としてだけでなく、人と人との人間関係の形成に果たしてきた本来の役割は、現在にいたるまで変わらない。

 早い話が、私たち誰もが日常経験している身近な例を引き合いに出すなら、私たちが日本食堂に入ったとき、仲居さんが「いらっしゃいませ」と言って、一椀のお茶をお盆にのせて席までもって挨拶にくる。日本全国どこでもみられるこうした風習、注文もしないのにもってくるこのお茶。言うまでもなくタダである。現在は資本主義の支配する社会。そうである以上、すべてのものが商品化される社会である。にもかかわらず、このタダのお茶。どうしてタダなのか。商品でなければ、このお茶は何なのか。その答えはずばり、文化、もてなしの日本文化である。これをCHAの文化と称したのは、お茶がこうして日本社会の中で人間関係をたいせつにする文化として定着していることに注目したからに他ならない。

 CHA文化のCとはCommunication(ふれあい)、HはHospitality(もてなし)、AはAssociation(人間関係の形成)、こうして「ふれあい」や「もてなし」を通じて、人と人との交流が促進され、良好な人間関係、朋友関係が形成される。そういうお茶の文化は、とかく人間関係が希薄、崩壊になりがちの現在、家庭においても、学校、職場においても、また寄合においても、大切なことではないだろうか。(角山榮)

※CHA文化は、角山榮(元堺市博物館長、元和歌山大学学長)によって提唱されたのが始まりです。

関係資料

仁義礼知信

このウィンドウを閉じる