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茶道の歴史

(1*p12)
約二〇〇〇年前…中国四川省あたりで、茶樹を加工して飲むことが始まる。
唐の時代…都の長安では、喫茶店が繁盛し、寺院では坐禅の合間に茶を飲むことが行われるようになった。
760年頃…文人陸羽は世界でも初めての茶書『茶経』を書きあらわす。

わが国の茶は薬用としての極めて実利的な側面と、仙境に遊ぶという精神的な側面を兼ね備えていた。(1*p29)
遣唐使や私的な留学生、さらに私貿易などによって中国から移入された喫茶の風習を受入れたのは、主として弘仁年間(810~24)に嵯峨天皇らを中心とした宮廷に集まった人物たち、すなわち藤原冬嗣らの貴族や永忠、最澄、空海らの僧侶であった。(1*p31)

わび茶の萌芽

(1*p62)
15世紀の後半にいたって、茶は大きな展開を遂げる。それまでさほど精神性には重きを置かれず、飲茶を主体としたり、美術工芸品の鑑賞を主体とした茶の形態から、精神性を前面に押し出した茶が芽生えはじめたからだ。いわゆる「わび茶」の誕生である。新たな茶の湯の萌芽は、珠光の創始にかかるものだと考えられている。(1*p62)

珠光プロフィール(各説)(1*p65)
1422(応永二十九)年生まれ。法名を珠光。了海上人に師事。30歳のころ禅僧となり一休に参禅。能阿弥または相阿弥の花の弟子となる。能阿弥から目利きを学ぶ。能阿弥に茶の奥義を伝授。還俗し、六条堀川醍ヶ井通西に茶亭を構える。1502(文亀二)年京都にて没。

「わび茶」系譜
珠光 -(古市澄胤) - 村田宗珠 松本珠報 鳥居引拙 - 十四屋宗伍 - 武野紹鴎 -  (津田宗久)- 千利休 - (今井宗久)

参考文献

  1. 『よくわかる茶道の歴史』谷端昭夫、淡交社、2007年3月12日

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