世界の茶
イギリスの紅茶
1630年頃イギリスにお茶が入ってきたが、一般に売られたのは1657年である。ロンドンのタバコ屋さんでコーヒーを飲むお店がお茶の葉を売り出し、お店でお茶を飲ませたのが最初であると考えられている。ねだんがとても高く、いい暮らしをしている人が買っていた。(11*p33)
はじめてイギリスでお茶を売ったのは、トーマス・ギャラウェイというお店で、お茶を宣伝するためにポスターを作った。そこにはお茶を飲むと、いつまでも健康であって長生きできることと、いろいろな病気にきく薬でもあると書いてあった。(11*p36)
くすりであったお茶は、1662年チャールズ2世のもとへお嫁入りしてきたキャサリンがおみやげにお茶をもってきて、ワインなどのお酒にかわって、飲み物としてのまれるようになった。(11*p38)
お茶はお店からだんだんと家庭に入っていき、よく飲まれるようになったが、値段が高いのでお金のある人しか飲めなかった。(11*p40)
イギリス人ははじめから紅茶を飲んでいたのではない。緑茶をたくさん輸入していたが18世紀になってだんだん紅茶が多くなる。(11*p50)
イギリスでお茶がよく飲まれるようになったのは、おいしいお水はあるが、ほかのヨーロッパの国に比べると飲み物の種類が少なかったからだ。(11*p56)
イギリスでもお茶に反対する人と賛成する人がいたが、18世紀の終り頃には、反対する人がほとんどいなくなり、お茶はひろく飲まれるようになった。
17世紀中頃から18世紀はじめにかけて、イギリスには茶、コーヒー、チョコレートの三つの外国から来た飲み物があったが、お茶がほかの飲み物よりよくのまれていた。(11*p64)
イギリスでは外国から来た飲み物のうち、コーヒーがお茶より先にひろまったが、コーヒーを手に入れるのに、国と国との競争でオランダに負けて、コーヒーにかわって中国のお茶が目立って多く入ってくるようになった。(11*p67)
イギリスに入った三つの飲み物のうち、最初になくなっていくのがチョコレートである。チョコレートを売る店がすくなく、ねだんも高かったからだ。イギリスでは三つのなかで手に入りやすくて飲み続けられるのはお茶しかなかった。(11*p72)
お茶がイギリスの国の人たちの飲み物として落ち着くと、イギリスだけの「紅茶文化」というような茶の文化ができる。今世界の茶で緑茶が飲まれているのは、日本、中国、台湾であって、そのほかの世界の大部分では、お茶といえば紅茶をさす。とくにイギリスでは世界の紅茶の約半分を使い、世界で一番紅茶が好きな国である。(11*p85)
私たちが緑茶をのむときは、砂糖もミルクも入れないけれど、紅茶をのむときは砂糖とミルクがついている。同じお茶であるのにどうして飲み方がちがうのだろうか。(11*p90)
イギリスではお茶を使う量がふえると砂糖をつかう量もふえる。中国から輸入した高いお茶をのむだけでもぜいたくであったのに、そこに砂糖を入れて飲むのはもっとぜいたくであった。はじめはお金持ちだけであったけれど、砂糖のねだんが安くなっていってお金のない人も飲めるようになる。イギリスの紅茶文化は、日本の茶の湯のようにこころを大切にするのではない。物をたいせつにする文化である。(11*p94)
1828年インドにお茶の木を植えたらいいという人があって、1834年そのための委員会が作られ、1839年カルカッタとロンドンでお茶の木を植えるための会社が出来た。だけど働く人がいないなどの問題が出て来た。それでもどんどんお茶の畑がひろがってお茶をつくることに成功した。こうして200年つづいてきた中国のお茶と競争できるようになった。 (11*p121-124)
参考文献
- 谷端昭夫『よくわかる茶道の歴史』2007年 淡交社
- http//www.omotesenke.jp/chanoyu/nenpyo/nenpyou_el_i.html
- 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』 角川書店
- 熊倉功夫『茶の湯の歴史千利休まで』1990年 朝日新聞社
- 永島福太郎『茶道文化論集』1982年 淡交社
- 成川武夫『千利休 茶の美学』1983年 玉川大学出版部
- 亀井高孝・三上次男・林健太郎・堀米庸三編『世界史年表・地図』 2007年13版 吉川弘文館
- 児玉幸多編『日本史年表・地図』2007年13版 吉川弘文館
- 村井康彦『茶の文化史』1979年 岩波書店
- 角山榮『茶ともてなしの文化』2005年 NTT出版
- 角山榮『茶の世界史』2007年再版 中央公論新社
- 目片宗允『お道具の話』昭和54年 淡交社
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